「今日は青い血の物語の話をすよ」
少女が帰宅すると、母は「ヨン様」と呟き不敵な笑みを浮かべ何らかの肉を煮込んでいた。台所は肉の香りで充満していた
「お母さん。今日の晩御飯はなに」
「今日は参鶏湯よ」
少女は空腹に堪えきれず母が目を離した隙に、参鶏湯を一「あーおいち」
という話ではないのよ
blue blood
ヨーロッパ(ゲルマン民族)王族の高貴な血筋を示す表現
文字通りの青い血のことではありません。昔、スペインはイスラム教徒に支配されていました。サラセン(イスラム教徒)の征服に、苦しむゲルマン系の王族たちは、サラセン人と比べて自分たちの皮膚が白くて静脈が青く透けて見えることを誇りに思い、
自分たちは青い血が流れているから奴らと違って高貴な人種と考えて屈辱に耐えてきたのでした
「それ ルサンチマンだから」
ゲルマン民族
フランスでは王子が産まれると、その妃となる相応しい王女が他国の王家にいないか探します
自国の貴族からは嫁選びはしません。庶民は論外です。どこの馬の骨ともわからぬ下賤の血が混じり込むからです
「外国の王女と結婚したら、乗っ取られる心配はないのかしら?」
ヨーロッパの王室は、もとを辿れば、全てゲルマン民族の各氏族にいきつくのです
フランス フランク族
ドイツ アラマン族
イギリス アングル族、サクソン族
ヨーロッパの王族はゲルマン民族の長がうちたてた王室なのです
ヨーロッパ王族はみな親戚なのです
親戚同士で、婿と嫁のやりとりをしているのです
「今日は ブルーブラッド ヨーロッパの婚姻の話をしするわよ」
オーストリア帝国
マイヤーリンク事件
フランツ・ヨーゼフ一世と美貌の王妃エリザベートの王太子ルドルフはベルギー王の娘ステファニーと結婚した。ステファニーは嫉妬心の強い、陰気な女性だった
ある日、ルドルフはヴェツェラ男爵の娘マリー・ヴェツェラ(17歳)と従兄弟から紹介された。ルドルフは魅力的なマリーに惹きつけられ交際を始めた
画像 世界史図書室
ルドルフは法皇レオ13世にステファニーとの離婚を求める書簡を送った
カトリックのレオ13世が離婚を許すはずはない。レオ13世は「不許可」の書類とルドルフではなく父ヨーゼフに送りつけた
ヨーゼフはルドルフを呼びつけて貴族の娘のマリーとの交際について諫めた。離婚して王族でない女性と再婚などは断じて許されないと親子は激しく口論した
ルドルフはマリーを連れて皇族の狩猟専用ロッシ「マイヤーリンク」に連れて行く.二人は翌朝死体で発見された
検死の結果、マリーの方がルドルフより数時間前に死んでいたことが明らかなった
従兄弟のルドルフが急死したため、フランツ・フェルナンドが皇位継承者になった
皇帝フランツ・ヨーゼフ一世にはルドルフ以外に男子がおらず、皇位継承者は1889年に皇帝の弟のカール・ルードイッヒ大公に移ることになった
しかし、カール・ルードイッヒも1896年にカール・ルードイッヒも腸チフスで薨去したため、フランツフェルナンドが皇位継承者となった
この時フランツ・フェルナンドは貴族の娘ゾフィーと恋仲だったが、オーストリア宮廷では王族以外の結婚を認めなかった
フランツ・フェルナンドは、ゾフィーを皇后にしないこと、二人の間に生まれた子供は帝位相続権を認めないことで、結婚は許された
ゾフィーへ公式では夫の側に座ることは許されず、席次も末席しか与えられなかった
それは、王族(青い血)は国民(赤い血)と異なる存在という意味だ。青い血と赤い血は混じり合うことはない
二人は1914年サラエボで暗殺された
二人の葬儀は合同で行われたが、ゾフィーの棺はフェルナンドの棺より低く置かれた、二人は歴代のハプスブルク・ロートリンゲン家の皇帝と帝妃が葬られるカプフィーナ納骨堂には埋蔵されず、居城の納骨堂に納められた。ブルーブラッドは死後までついてまわった
イギリス
王冠をかけた恋
イギリスでは、王族でなくても王妃になれた、王族でない王妃から産まれた子供も、王位継承権を与えられた
1933年 ニューヨークを訪問したエドワード皇太子は人妻であるウォリス・シンプソン夫人に出会う
ウォリスは美人ではなく、また小柄だった、しかしお洒落で饒舌であり、ダンスが上手で、性的にも奔放で男性たちを魅了した
金持ちで、いい男と結婚するのが夢なの
シンプソン夫人
最初の結婚は米海軍士官だがすぐ離婚して船舶会社社長と再婚した
フレンドリーなウォリスはフランクにエドワードを誘い、ベッドを共にする。エドワードはウォリスに夢中になり、常に同伴し、高価な宝石を買い与えた。ウォリスの夫は妻が時期国王の愛人てあることは自分の会社の信用を高めると思いこの不倫を黙認した
ウォリスにはエドワード以外にも恋人が他にもいた。当時駐英独大使で後にナチスの外務大臣となったリッペンドロップだった
シンプソン夫人とヒトラー
1936年エドワード皇太子はエドワード8世として即位した時もウォリスは立ち会った。エドワードはウォリスの夫に「離婚しろ」と恫喝した挙句に暴力を振るった。こうしてウォリスは離婚する。しかし、二人の結婚は反対された
理由は 1772年に発令された「王室婚姻法」である。これは離婚歴のある女性、カトリック教徒と結婚した場合は王位継承権を失うというものだ
ウォリスの二度の離婚歴、また年齢(40歳)も反対される原因の一つである
1937 二人は結婚式をあげた
イギリス王室から結婚式を参加する人はおらず 弟のジョージ二世から絶縁状をだされた
エドワード8世の母メアリーは「自分が生きているうちには、エドワードにイギリスの地を踏ませない」と息巻いた。エドワード8世は「ウィンザー公爵」の称号を与えられたがウォリスには「妃殿下」の称号は与えられなかった
1947 エリザベス女王の結婚式にウィンザー公爵夫婦は招待されなかった
1960 マーガレット王女の結婚式にはウィンザー公爵のみが参加
1965にウォリスは「ウィンザー公爵夫人」としてイギリス王室に認められた
1986 ウォリスは亡くなった時、ウィンザー公爵から贈られた莫大な宝石類を、イギリス王室に返さないで、オークションにかけて売り上げ金はフランスのパスツール研究所に寄付した
マーガレット王女
エリザベス女王の妹、ローマの休日のアン王女のモデルともいわれた美貌のプリンセスである
マーガレット王女は14歳の時、16歳歳上で妻子持ちのピーター・W・タウンゼント大佐に一目惚れしてしまう
1952 タウンゼント大佐は離婚
1953 エリザベス女王の戴冠式にマーガレット王女がタウンゼント大佐の制服についた毛羽だった部分を払った写真が世界中に報道されてしまう
離婚歴のある男性との結婚は周囲にもう反対された。タウンゼント大佐はベルギー大使館に赴任(左遷)された
イギリス王室では25歳以下の王族は君主の許可が必要だった。これは許可が不要になるまで二人を引き離すというチャーチルの作戦である
イギリス王室はマーガレットに離婚歴のあるタウンゼント大佐と結婚するなら王位継承権、年金受給権など王族特権を全て失うと通告した
1955 マーガレットはタウンゼント大佐と別れを告げた
マーガレットは恋より王室のメンバーでいることを選択した
王室で生まれた者は王室でしか生きられない
タウンゼント大佐はベルギー赴任中に出会った女性と結婚した
1960 マーガレット王女は写真家のアンソニー・アームストロングと結婚、2児をもうけるが1978 に離婚した
王室はアンソニーの身辺調査を行った結果、かなりの懸念に気づいたが、二度の結婚を邪魔されたくなかったマーガレットは結婚を決意
アンソニーは異性にだらしないう上に、同性愛、薬物の疑惑があった
スウェーデン王室「玉の輿」
1972 グスタフ国王はミュンヘンオリンピックで、アテンドを担当したドイツ人コンパニオン シルヴィアと恋に落ちた
シルヴィアが民間人であることグスタフより2歳年上であること、父が戦時中にナチ党員だったことが問題になった
スウェーデン政府は、民間から皇室に入った美智子さんのケースを参考にして、4年間かけて、語学や歴史、マナーなど王妃としての教育をして二人は結婚した
1977 第一子である長女ヴィクトリア王女が生まれた
1979年 長男のカール・フィリップ王子が生まれる
その年に、性別に関係なく、国王の第一子を王位相続人にすることと決定した
弟のカール・フィリップ王子から、姉のヴィクトリア姫に王位継承権が移ったのだ
2002年 拒食症になったヴィクトリアはその時担当した個人トレーナーダニエルと恋に堕ちてしまう
ダニエルは三つのジムを経営する実業家であるが、公務員の父、郵便局員の母という家庭に育ち、体育大学を卒業して、兵役に従事する「普通」の経歴だった
普通のダニエル氏にメディアは「カエルの王子様」「バーベキューの串」という渾名までつけられてしまう
グスタフ国王もこの結婚に大反対で、ヴィクトリア王太子は父と口をきかなくなった時期もあった
グスタフ国王はダニエルには、シルヴィア妃の2倍の年月をかけて、女王の配偶者として教育することにした。ダニエルは8年間 王族修行をした。こうして
画像 時事通信
2010 二人は国民の祝福を受け結婚した
2012 エステル王女、2016 オスカル王子が生まれた、今ではダニエルはロイヤルファミリーとして馴染んでいる
タトゥーの妃
弟のカール・フィリップ王子は2015年にモデルのソフィア・ヘルヴィストと結婚した
馴れ初め
2010 クラブで互いに一目惚れし、すぐに交際
ソフィアがセクシーグラビアのモデルや、スキャンダラスが売りのリアリティ番組に出演したことが発覚した
ソフィアはアメリカ留学の資金源を作るためだと説明をしたが背中、脇、腕にタトゥーを入れ、臍ピアスをしていることも報じられたため、メディアのバッシングを受け、国民の風あたりも強かった
ソフィア妃はNPOを立ち上げるなど、チャリティー活動を活発に行なっている
ノルウェー
1968 スウェーデン王は初の民間の女性ソニアと結婚した
ソニアはデパート経営者の娘として生まれたお嬢様である。スウェーデン王室も日本の皇室 美智子妃殿下を参考にして、約9年間かけて王太子妃教育をされ結婚しホーコン王太子を授かった
ホーコン王太子はメッテ・マリットとロックフェスティバルで出会った。二人はすぐ意気投合して同棲をはじめた。しかし、次々にメッテ・マリットのスキャンダルが発覚した
- 離婚経験
- 男の子一人のシングルマザーであること
- 自身も母子家庭で育ったこと
- 高校の時代のヤンチャ写真が掲載された
- 一人息子の父親は麻薬で逮捕
- メッテ・マリット自身もやんちゃ時代に薬物を使用経験があったこと
ノルウェー国民はメッテ・マリットに厳しい目を向けた
メッテ・マリットは国民の前で自分の過去をについて「私はかつて過ちを犯した‥」涙を流しながら説明したことによりノルウェー国民は賛同した。結婚式では、麻薬中毒から立ち直った人々を呼んだ。結婚後は貧困層に対して、信用貸し出しをするマイクロクレジット事業を始めた
最近は王太子夫妻にジェフリー・エスプタインと親交があったという疑惑が持ちあがった。未成年の人身売買疑惑のあるエスプタインは、クリントン夫妻など世界のセレブと交友関係があった。エスプタインと親交のあったアンドリュー王子は批判され公務から退いている
ノルウェー王室では交友関係は認めたもの、最近は関係を断絶しており、犯罪とは無関係と説明している
ノルウェーでは王室廃止ろんの声も上がっている。ノルウェー国王の財産は非課税で、国民の年間負担額は74億円である
昔は王族または上級貴族と結婚したが今は恋愛から始まり時間をかけてロイヤル教育を得て結婚するのが今のロイヤルウェディングである