「天皇家は日本の歴史と深く関わり続けた。天皇あっての日本なの。今日は桓武天皇を学ぶわよ。桓武天皇はハーフ。母は百済人だった。はじめてのハーフの天皇よ」
白壁王は天智系で皇族で皇位継承圏外である。しかし、親王たちが陰謀に巻き込まれて消えて天智系の父が光仁天皇(62歳)として即位した
天智系の時代になったわけではなく、光仁天皇の妃、井上内親王は天武系 聖武天皇の娘であり、その息子 他部親王(11)が成人するまでのつなぎだった
天智系 49代 光仁天皇が即位 井上内親王が皇后、他部親王が皇太子となった
光仁天皇の息子 山部皇子(35歳)は兄だったが、母 新笠は百済系渡来人だったため皇位継承圏外だった
つなぎである天智系 光仁天皇はあいも変わらず 酒浸りになり無能のフリをして暗殺を回避していた
771 井上皇后が夫の光仁天皇を呪詛で亡き者にしたという密告があった。井上皇后は皇后の座を追われ、息子の他部親王は皇太子を廃された
山部皇子が皇太子となったが天変地異が起きる
これらの災厄は井上親子の呪詛とされ井上親子は廃屋に幽閉された。災厄は終わらす翌年飢饉が起きた。井上親子は亡くなります。しかし災厄は終わりません
- 黒鼠の大群
- 雹
- 台風、大雨
- イナゴの大群
- 光仁天皇は病に伏します
人々は「やはり天武系天皇が正統なのだ」と恐れおののきます。光仁天皇は井上内親王の墓を皇族の墓らしく改装して供養しました
781 山部皇子は50代 桓武天皇として即位
初めて母が外国人である天皇が即位した。皇太子は 同じ母新笠から生まれた弟 早良親王を皇太子として擁立した。この頃、僧侶が力をつけ政治に口だしするようになります
長岡京
桓武天皇は長岡に遷都を決意します。長岡京には僧侶が住むのを禁止にして僧侶を権力から遠ざけようと考えました
784 藤原種継に長岡の調査させていたところ、暗闇から矢が飛んできて種継は暗殺されます
早良親王は無罪を訴えましたが、捕らえられ淡路に流罪にされます。淡路に向かう船の中で早良親王は食を断ちます。早良親王は淡路に着く前に餓死で死んでしまいました。桓武天皇は長岡京に遷都しますが次々に災いがおこります
桓武天皇の息子である皇太子 安殿(あで)親王は快活な少年だったが、病に伏せ「叔父上(早良親王)が見てる。ほら、あそこに‥怒っているんだ」と怯えるようになった
陰陽道では一連の災厄は早良親王の祟りいわれ桓武天皇は長岡京を諦め平安京に遷都した
画像 長岡京市
陰陽道
四神相応の地
東 東の神 青龍を象徴する 加茂川
南 南の神 朱雀を象徴する沼 小椋池
西 西の神 白虎を象徴する道 山陰道
北 北の神 玄武を象徴する山
鬼門(東北) 比叡山延暦寺
都の周囲に寺社仏閣が埋め尽くした霊的要塞である
「これで祟りもなくなるわね」
「ところがその強力な霊力の上に、鬼力怨霊を呼び寄せてしまったの
「意味がないじゃない!」
「大丈夫なの。そこで登場したのが科学技術省である陰陽道のスペシャリスト陰陽師」
平安京では、天皇、貴族たちの生活は陰陽道占いに支配され、爪切りから始まって、外出、旅行など生活の隅々まで占いに従ったの」
「陰陽道に洗脳されているよね」
天皇になっても彼のノイローゼは治らなかった。メンヘラ平城天皇は弟の加美能(かみの)天皇に皇位を譲り上皇になり奈良の平城宮に移り住んだ
809 52代 嵯峨天皇即位
奈良に移転した平城天皇は叔父上の声が聞こえなくなります。そうすると天皇の位を弟に譲ったことを後悔します。「やはり天皇に復帰しよい」と考えました
美魔女 藤原薬子
公家出身。公家に嫁ぎ5人の子供をもうけた。薬子は自分の娘を平城天皇の妃として嫁がせた。しかし寵愛を受けたのは娘ではなく母の薬子だった。この熱愛は父 桓武天皇に別れさせますが、自分が即位した後、また寄りを戻します
薬子の乱
平城上皇の側近の藤原薬子兄弟は、すぐさま兵を集めて反乱を起こし嵯峨天皇にたいして、兄の平城上皇に天皇の位を譲り、奈良に行けと迫ります。クーデターです
この乱は坂上田村麻呂に鎮圧され藤原薬子兄弟は自害します。平城天皇は早良親王の亡霊に生涯悩まされたのです
桓武平氏
平安時代になると、増えすぎた皇族を整理するため、「姓」を与えて朝廷の家臣とする「臣籍降下」が行われはじめた。武家のはじまりである
高望王には「平」の姓が与えられた。桓武平氏である。桓武平氏は東国を支配した
朝廷は将門討伐を命じた
将門は国香の息子 貞盛に撃たれる
貞盛は将門当罰の功により朝廷の重臣となり、貞盛の流れから平清盛が出る
平氏の末裔
清和源氏
源氏の末裔
嵯峨天皇は嫡男以外の子に「源」の姓を与えたのが始まり。清和源氏は西国を治めた
貴族、皇族のボディーガードとなった武家、平氏、源氏たちはやがて対立をはじめる